ボケの花

祖母が痴呆症になり、施設に入った。

 

短期記憶が定着しないというか、なくなるというか・・・忘れてしまうようだ。

 

施設に入って1週間だったことも関係してるのかわからないが、雨に濡れた子犬さながら悲しい顔をしていた・・・ように見えた。

祖母のように半分ボケてはいるが、半分まともな状態のほうが自分自身に対して戸惑うとことも多いようで、端的に辛そうだ。

いっそなにもわからんくらいボケた方が幸せそう。

こうなるともう『長生きしてね』というような言葉を安易に言えなくなってしまう。(正直、言ったことないけど!)

 

母の知人でそういった施設で働いている人の話では、もう何年も施設にいるのに『私ここに今日来たんだけど・・・』という人もいるそうだ。

もちろんこれは笑い話として話してくれたそうなんだが、身近で祖母がボケて行く様を目の当たりにしていた母はもうちょっと笑えないかもと言っていた。

この老人は終わりのない毎日を繰り返している感覚なのだろうか?それともどれだけ経っても日々の生活に慣れずに緊張しながら暮らしているのだろうか?

毎日デジャブを感じるようなおかしな日々なのかもしれない・・・わからないけど。

 

しかし祖母のような痴呆症の老人を考えると、ダンプに跳ねられて即死というような死に方も案外いいもんだと思っちゃうから不思議だ。

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・・・とはいえ、即死でいいのは本人だけで、残された遺族は相当きついはず。ある日突然いなくなるのは、死を受け入れるのに時間がかかりそう。

(死んだ本人も子供がまだ小さかったりする場合などは相当無念なはず)

ガンなど大病を患い『あんたは余命こんくらいよ〜』と宣告される方が、本人も遺族も身辺整理等しやすく、死を徐々に受け入れる心の準備にもなるようでよかったりする・・・という話はよく聞く。

老衰が理想ではあるけど、これは期待できそうもない。

人生の勝ち負けはぽっくり死ねるかどうかってのは案外真理をついているのかもしれない。

(これは中崎タツヤの漫画で見た言葉で、競輪場にいたオヤジが実際にいってたこと)

 

人はいずれ死ぬ

昔、よく聞いていたラジオ番組でそんなラジオネームを使っていた人がいたが、ある日を境に『人はいずれパイナポー』に改名していた。

どんな心境の変化があったんだろうか・・・。

確かおぼろげな記憶ではそう感じたリスナーが理由を聞いて、なんかしら答えていたような気がするけど・・・ある日急にダサいとかかっこ悪いと思ったとかなんかそういった経緯だった気がする。(多分)

そういえば中原昌也暴力温泉芸者という名前がある日急にダサいと感じてやめた・・・・というような話を聞いたことがある。(友達から)

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1時間じゃここまで。